碑文谷公園
碑文谷公園(ひもんやこうえん)
碑文谷公園
東京都目黒区碑文谷(碑文谷6-9-11)にある目黒区立の公園で、清水池公園と並んで、
目黒区内で最も古い公園の一つです。
碑文谷池(弁天池)を中心とした公園で、ボート遊びが楽しめる公園としても人気があり、
周辺住民の憩いの場として知られています。
- 1933年(昭和 8年)11月15日に碑文谷公園として開園しました。
- 1950年(昭和25年)10月1日に目黒区に管轄が移り、現在に至っています。
以前は、鹿や狸なども飼育されていました。
また、ボート乗り場や管理小屋も今の反対側(滑り台や砂場があるあたり)にありました。
現在は、碑文谷池を中心に遊具や樹木があるほか、
一角にはポニーやウサギなど動物に触れられる「こども動物広場」もあります。
2001年には公園に隣接してあった旧第一勧業銀行碑文谷グラウンドも公園用地として取得し、
野球場やテニスコート・体育館も併設され(目黒区立碑文谷体育館)目黒区内でも有数の規模の
公園になりました。
公園では野球やテニス、ジョギングやウォーキングをする人も多く見られます。
碑文谷池(弁天池)
池の真ん中の厳島神社に弁天様が祀られていることから弁天池とも呼ばれています。
碑文谷池は広さ約0.8ha。
江戸期から昭和期にかけて、碑文谷の村民に五穀の実りをもたらす潅漑(かんがい)用貯水池として地元の人々に大切に維持・管理されてきた池です。
まだ当地付近が農村であった頃は、当時の地名をとって「三谷の池」と呼ばれ、現在よりもずっと大きく、地元の人々にとって欠かせない存在でした。
かつては野鴨が多く飛来し、将軍家の鷹狩場に使われたりもしたそうです。
また、この池は同じ区内にある清水池公園にある清水池と共に、今は暗きょ化され緑道に姿を変えた立会川の水源の役割を果たしてきた池です。。
一時は村の財政難を理由に池の売却案も出ましたが、村人の反対で廃案になりました。
1932年(昭和7年)10月1日、東京市35区が成立し、目黒区が正式に誕生しました。
東横線が、渋谷から桜木町まで延び、駅を中心に住宅地へと変化していく中、池の周囲を公園として永久保存することを条件に、1932年(昭和7年)碑文谷池は東京市に付近の土地と共に寄贈されました。
戦後、1950年(昭和25年)9月に目黒区が管理することになり、現在に至っています。
厳島神社(弁天様)
池の真ん中の厳島神社には極彩色の小さな弁天様がまつられています。
立札の説明書きです。
この神社の創建は戦国時代(15・6世紀)と伝えられ、祭神は市杵嶋姫命で古来から水の神、火の神として振興されております。
江戸時代に約250年間碑文谷を知行していた旗本神谷氏の信仰が厚く、1848年(嘉永元年)9月、十代神谷正庸氏(大夢)奉献の弁才天像が本殿に奉安されております。
商売繁盛、子孫長久、病気平癒や開運、諸願成就の霊験あらたかで広く皆様に親しまれ信仰されています。
毎年、4月15日に例大祭を、12年に1度の巳年に大祭がとり行なわれます。
2003年(平成15年)1月吉日 厳島神社保存会建之
2004年(平成16年)11月24日(水)夜7時過ぎ、賽銭箱に放火され、
拝殿は全焼。本殿と社務所は全焼に近い形で鎮火しました。
この際、弁財天は金庫で保管されていたため、消失は免れました。
厳島神社保存会の呼びかけによる、寄付により、
- 2006年(平成18年)4月15日 地鎮祭
- 同年、7月29日 上棟式
- 同年、12月9日 遷座祭
- 同年、12月10日 竣工式
拝殿と本殿が再建されました。(第1期工事)
第2期工事で社務所も再建されました。2010年に鈴がつけられました。
すべり台・ブランコ・砂場
子ども達の遊び場、2010年(平成23年)1月末より3月にかけて整備されることになりました。
このすべり台は古いです。60年以上前からあるものと思われます。 ブランコは比較的新しいですね。
公園改良工事のお知らせ
この度、碑文谷公園の改良工事を行なうこととなりました。
この工事はすべり台・ブランコの取替、園路舗装の補修などを行なうものです。
2月初めより工事を行ないますので、しばらくの間遊び場付近は仮柵にて入れません。
また、工事期間中は車の出入り等もありますので、
皆様方のご協力よろしくお願いいたします。
- 工事期間:2011年(平成23年)1月下旬より同年3月下旬まで
- 施工時間:昼間施工・・・8:00~17:30
- お気付きの点がありましたら目黒区公園事務所、
または、(株)オールマンまでご連絡ください。
- 工事監督:目黒区公園事務所
- TEL 03-5721-7287
- 工事施工:(株)オールマン
- TEL 03-5722-2841
(公園内掲示より抜粋)
公園、池の北側にある「あずまや」も取り壊される予定があります。
碑文谷公園ボート場
- 営業期間:3月1日~11月30日
- 休業日 :月曜日
(月曜が祝祭日と重なった際は営業し、祝祭日の翌日を休業)***営業時間 [#k482670e] - 3~4月、9~11月
- 10:00~16:30(入場は16:00まで)
- 5~8月
- 10:00~17:30(入場は17:00まで)
- 危険防止のため、雨天・強風の時は営業中止
利用料など
- 1回30分以内100円
- 定員2名
- 但し、下記のような構成で危険が無いと係員が判断した場合は3名まで乗船が可能ですので、係員にご相談ください。
- 大人2名+幼児1名
- 大人1名+小学生低学年以下2名
- 小学生3名
- 利用券は当日のみ利用できます。
- 表示された利用終了時刻までにお戻りください。
- 表示終了時刻を過ぎた場合には、所定の超過料金をいただきます。
- ボートに乗る際には係員に利用券をお見せください。
- 利用が終わって戻った時には利用券を係員にお渡しください。
- ペットは乗せられません。
- 場内では係員の指示に従い注意事項を良く守って安全にご利用ください。
朝,日友好親善の碑
池の北側に「朝,日友好親善萬歳」と刻まれた碑が建っています。
1960年(昭和35年)3月15日に「目黒在住朝鮮民主主義人民共和国帰国者一同」により建てられました。
この碑については、1960年(昭和35年)5月10日(火)発行の「目黒区広報」で次のように紹介されています。
4月16日、碑文谷公園で除幕式が行われた。“日朝友好親善記念碑”は、目黒区から朝鮮に帰国する人たちが、帰国にあたって
目黒区議会や区民の皆さんの暖かい協力に感謝するため、帰国者のカンパによって建てられたもの。
高さ約2メートル半の記念碑には、平和を象徴するハトの下で、日本と朝鮮の女性が手を結んでいる像が浮き彫りにしてあります。
- 当時、政府は帰国援助費4,545万6千円を予算計上して第一次帰国に備えました。
- 目黒区の対応
- 当時目黒区には約1,360名の朝鮮人が居住し、その中で帰国希望者は約3分の1と
いわれていました。 - この頃、在日朝鮮人帰国協力会が結成されていましたが、
全国でも目黒区が最も早く活動を開始しました。
- 当時目黒区には約1,360名の朝鮮人が居住し、その中で帰国希望者は約3分の1と
帰国者代表は「帰国協力会を作った上、記念品まで戴いて、目黒区に住む朝鮮人は感謝しています。」と
謝意を述べたそうです。
このような帰国者の気持ちの結集が、碑文谷公園の記念碑建設に繋がり、
目黒区もそれに応えて公有地を提供しました。
(寄稿:髙林健二氏)
延命地蔵尊
池の東南側入り口横に延命地蔵尊が建てられています。
以前、この地蔵の前は東横線の踏切があり、二人の子どもが跳ねられる事故があったそうです。
事故で亡くなった方のご両親はとても悲しまれ、子ども達の供養のためと
これからの無事故を願い、1943年(昭和18年)5月に建之されました。
今は東横線のガード下の複雑な交差点を見つめています。
忠魂碑
以前、公園の東南隅に「忠魂碑」がありましたが、傾いてきて危険ということで撤去されてしまいました。
碑文谷体育館
旧第一勧業銀行碑文谷体育館です。
耐震補強工事が必要な建物ですが、区の財政困難のため、工事は延期されています。
現在、改築する方向で話は進んでいるようですが、2011年度も計画延期になってしまいました。
- 緊急財政対策にかかる事務事業の見直しについて
- 区財政の危機的状況を回避するため、区長を本部長とする緊急財政対策本部を設置した。
2010年(平成22年)10月21日および11月5日に対策本部を開催し、事務事業の見直し検討を行なった。
- 区財政の危機的状況を回避するため、区長を本部長とする緊急財政対策本部を設置した。
- 碑文谷体育館改築 所轄:スポーツ振興課 事業延期
- 当該事業については、第1次避難場所に指定されている場所の中で、唯一耐震補強が必要な施設でもあり、区民への影響度(生命・健康・財産への影響)、緊急性が比較的高い事業である。
また、バリアフリー化への対応も必要である。
しかし、財政状況を考慮すると実施計画どおりに行なうことは難しい。よって、1年間の延期とする。
と、言うことだそうです。